タイガーナンパーカット

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コロナ禍の別離と過ごしたすべて

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 どうでもいいことのはずなのに、やけに何度も思い出す記憶ってない?

 僕の場合、結婚が決まって、引っ越す2か月前に突然インターフォンが鳴らされた時のことなんだけど。

「今度、隣に越してきた〇〇です」

 もちろん〇〇に入る名前なんて忘れた。ただ相手の容姿は妙に良く覚えていて浅黒いオバサンだった。ほうれい線どころか、下顔面の肌のたるみが凄くて、もはや老婆とも言えそうな外見だったけど、発声がハッキリしていたのと、粗品を渡され、腰を折った会釈の動きのキレが良かったので、それで幾分、若返る印象。陰キャの自分はオドつきながら対応して、部屋のドアを閉めたあと(なぜ、あんなおばさんが一人暮らし専用のアパートに住むことになったんだろう…)という疑問をしばし持ってしまった。

 いやまぁ現実的にありえない話じゃないし、このへん申し訳ないながら、どっか偏見があるのかもしれないけど、40~50代のオバチャンがアパートで一人暮らしにやってくるというのが、当時の自分には、なんとなく奇妙な出来事に感じてしまった。

 おそらく、あのひと離婚でもして、ここにきたのかなぁ…と想像したし、キツめの顔だったので、女を連れ込んだ音にクレームを言われたらイヤだなぁと思ったものだが、そういうのは最後までこなかった。 

 

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 3年、経った。

 緊急事態宣言の真っただ中の引っ越しだった。

「隣に大家さんが住んでいますので、最初に挨拶をしてくれると私共としては助かります」

 不動産屋にそう言われた。

「いえ、こんな時期ですから訪問しても御迷惑かと思いまして…」

 言葉自体に嘘はないつもりだった。ただ40を目前にした僕にも、ほうれい線や、ゴルゴ線が目立ち始めていた。3年前の、あのおばさんのことを何度か思い出していた。あのときの見方を、今度はされる側になるのか、という気持ちがどっかにあった。ただの被害妄想なのはわかっていたが、しかし気にする自分が、なにより面倒くさかった。

 

 離婚をしました。
 向こうから切り出されて、9か月くらいの話し合いの末でした。
 子どもは元奥様のもとで育てることになりました。
 お金はガッツリ持ってかれました。貯金が溶けました。

 

 今北四業。

 安アパートへの引っ越しが終わり、PCとAmazonで買った5000円のマットレスしかない部屋に入ったとき「いやぁ、なんにも無くなっちまったなぁ…」と、わざと声に出して独り言をいってみようと思った。

「いやぁ、なんにも無くなっちまったなぁ…」

 なにもない部屋に声が響いた。

 その反響に我ながら思いの他ウケた。

 それで、なんとかやっていけるかなと思った。

 

(まぁしょうがないか)

 離婚に関して思うことって、それがすべてだ。なにかがダメだったってワケじゃなくて、まるで詰将棋のような死に方だった。あの頃、お酒と自宅搬送を繰り返すような、女遊びの日々にも良い加減、飽きていた。当時の自分の選択肢においては、彼女は(変な英語だけど)MOST BETTERな選択肢だった。とどめに30代後半で、普通年収の自分にとって、子どもを持てるチャンスも最後のタイミングだと思った。
 その結果うまくいかなかったのなら「もうしょうがない」しかない。他人から見たら離婚なんてありふれた出来事なんだろうけど、とりあえず離婚で、僕が学んだことは以下の3つだ。

 

  • どんなに見極めようとしても結婚にギャンブル要素はある。
  • 子どもという自分の価値観における人生最大のゲームチェンジャーとなった存在ができたことは結果的にはすごく良かった。
  • 独身(結婚未経験者)の対応やアドバイスはことごとく役に立たない。

 

 注釈が必要なのは最後くらいか。

 結婚生活で悩んでるとき、一応ひとに相談したりもしたんだが、結局、心理的に頼りになった相手は妻帯者だった。「弁護士のくず」のなかで「結婚生活は、家庭内における夫婦の権力闘争だ」というセリフがあって、生活の最中、ずっと強く実感していた。特に月並みだが、子どもを持つと、女性の価値観は高確率で変わるので、男性は、しつこいぐらい未来想定したとしても、奥さんの性格が、どの方向性に針が飛ぶか予想がつきにくい。

 一方、僕は精神的に変わらなかったつもりだが、それもそれで彼女からすると「結婚して子どもを持っても変わらなかったのは、あなたの罪で、私と同じ方向性になるよう変わるべき」というニュアンスを「父の自覚不足」として伝えてくる。

 間違いなく、よくある子持ち夫婦の話をしている。

 相談相手たる妻帯者(「元」も含む)は、そのへんの共感をしたうえで「わかるよ。俺も我慢してるよ」みたいな同調だったり、有益な助言をくれるんだが、未経験者にそれはわからない。「わからない」という意思を出したうえで言葉をかけてくれるなら、無力ながらも、その場の癒しくらいになるんだが、最悪ながら、こんなブログをやっていたような僕の人間関係の場合「いや、俺は理想の相手が見つからないから、まだ結婚したことねーけど、もし結婚したら、そんな未来には絶対ならねーし」という根拠なし馬鹿野郎が、ハイボール片手に、謎の上から目線アドバイスをしてくるので、一時期、僕は独身全員と縁を断っていた。あきまん氏のいう「アドバイス罪」というやつだが、この場を持っていうと病んでいたので、愛想笑いをしながら「こいつ死んでくれねーかな」と友達でも平気で思っていたし、そういう「事故」に遭遇するのは避けたかった。

 この手の独身連中は、この文章が、もし本人の目に触れられたとしても自覚できないだろう。浴びるようにエロ動画を観た童貞が、おまえのテクニックは間違ってると偉そうに説教するかの如く、理想の夫婦生活を送れると盲信して、既婚者に助言する未婚者に認知できるとは思えない。

 

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 きっと「普通の離婚」なんて、この世にないと思うんだが、我が家の場合も少数じゃないかと思う要素は、2つあって、ひとつは協議離婚ではなく調停離婚だったということだ。というのも元奥さんの男性に対する経済観念は一般のそれより少し高かった。そのため彼女と自分だけで今後の費用面などを決めるのは困難そうだし、調停での終結をはかることを望んだ。さきほど9か月かかったと書いたが、その半分以上は、裁判所から調停を呼び出される待ち時間だった。

 離婚調停は1回で終わるわけではない。どれだけスムーズにいっても3回はかかるそうだ。もちろん互いの条件面が折り合わなければ何回でも行われる。横浜の家庭裁判所は、調停待ちの期間が長いことでも有名で、僕は、まだ「パパ」も言えないほど小さい我が子と遊びながら、次の調停が来るまでの時間を、一緒に住む時間の終わりを、時限式の憩いを、ずっと意識しながら過ごしていた。

 だから、その頃のiPhoneのカメラロールには子どもの写真しかない。

 

 調停は不公平がないよう、男女ふたりの調停員のもと行われ、僕と彼女を、ひとりずつ呼び出し、30分交代で話を聞いていく流れになる。

 仲違いした夫婦の話を聞く調停員たちは、ほとんど我々の感情に寄り添おうとはしない。あくまで聞いた話から「背景」や「状況」を抽出して、モデルケースに近い「離婚条件」に近づけ、そこに着地させようとする行為のみに尽力する。だから、たとえば精神的にかなりきつい相手の嫌がらせを告白したところで「それ」に該当しなければ無視されるし、そのとき言う「あなたの気持ちはお察ししします」「そういう気持ちなのね、ということは理解しました」という生温かい定型句でしかなかった。まぁプロだ。いちいち同情してたら、やってらんないのは充分わかるし、大枠でみれば助かるんだが、生々しい事情もデジタルに処理され続ける状況は時々しんどい。

 そういう彼らだから、私見を挟むことも基本なかったんだが、初回だけは「私の主観的な意見になるが、まだ子どもも小さいし、今回は別れるケースではないように思う」と言った。老男性の調停員だった。「僕もそう思うんですけどね」と答えた。やたら窓の外は天気よかった。

 初回が終わった後、合流した彼女から「やたら(離婚を)止められたんだけど、あなたが何か言ったの?」と詰められた。きっと別れることを強固に決めている彼女にとっては、わずらわしいこと、この上なかったんだろう。

 調停離婚のいいところは、相手がどれだけ高い養育費はじめ各種金額を要求しようと、結局は相場や法律で定められた算定表のもとに着地させてくれるということと、あと離婚届を書かなくていいというところだ。

 裁判官が成立要件を読み上げ、サインをして、それで離婚が成立する。

 なので離婚したことに、しばらくは実感がなかった。なにせ調停後も、普通に3人で暮らしてたし。

 

 そうなんだ。書き忘れていたけど、最後の時間まで暮らしてたんだ。

 さらに付け加えるなら希少じゃないかという、もうひとつの理由でもあるが、調停期間中も、僕と奥様の間には、ときどき性交渉はあった。僕自身としては能動的ではなく、向こうの要求に応えただけなんだが、最初、行為が終わった後も「別れるまで、しようね」と耳元で言われて、こいつ頭おかしいんじゃないかと思ったものの、調停の翌日、引くほどの金額を請求してきた相手と知りながらセックスに応じられる自分も、ひょっとしておかしいのかもな、という自覚は一応あった。

 この話をすると大抵「離婚する必要なかったんじゃないの?」と言われる。そもそも嫌ってる奥さんが、なぜ実家に帰らず、家に住み続けてるんだ、とも。

 一応、後者に関しては彼女の実家で飼ってる室内犬に対して、我が子がアレルギーを持っているため、仕方なく居残ってる、という理屈なんだが、僕としては我が子が傍に居る状況を断れるわけもなく、結果、自分と別れたい相手と9か月間、住むという経験を過ごした。

 

 全員がマスクをして読み上げられた離婚調停の成立内容には、僕が4月中には今の家を出ていくことが条件として記載されていたが、くしくも決まって間もなく政府から緊急事態宣言が発令される流れが出てきた。

 テレビのニュースでは連日、都内の感染者数が次第に増えていく様子を深刻に報告していた。

「どうしても出なくちゃダメか? こういうご時世だし、できれば引っ越し延期したいんだけど」

 建前だった。子どもと居られる時間を延ばしたかった。

「離婚したのに、ずっと住んでるなんておかしいじゃない。周りへの示しがつかないから約束を守って出てって」

 にべもないとは、このこと。

(まぁしょうがないか)

 この時もそう思った。

 

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 そんなわけで引っ越した冒頭に戻るわけだが。

 当初は、すぐ元の一人暮らしに戻れるものと思っていた。

 なにしろ何十年も一人暮らししてなかったわけじゃない。たったの3年。

 だけど、なかなかそうはいかない。

 

 まず家具が来ない。冷蔵庫、洗濯機、各種家電は軒並み中国製だから、頼んでも配達まで1~2か月以上の到着はザラなのだと、モニターかHTMLがバグってんじゃないかと思う数字を出してくる。もちろんベッドも来ない。5月はじめに頼んだベッドが来たのは7月の中旬。それまでは、肘をついたら床に直であたってんのかと疑いたくなるほどの5000円のマットレスで生き続けたし、1か月以上もの間、コインランドリーと家の往復をする時間に休日を潰し続けた。

 

「そんなに欲しいならリサイクルで適当に安いやつ買ってくればいいじゃない?」

 元奥さんはテレビ電話で平然とそう言う。

「適当なものを買って、そのあと、ちゃんとしたやつに買い替えるほど金に余裕がないんだよ」

 今まで120万かけた趣味のロードバイクも、もうじき洗濯機と冷蔵庫に化ける予定だ。

 おまえのおかげでな、とは言わなかったけど。

「そんなことより体温計を送ってほしいんだ。余ってるのあったよね?」

 そう、マスクはなんとかなるんだが、体温計が売られてなかった。何故こんなにもなくなるのか意味不明なほどになかった。

「だめだよ。〇〇(子ども)の朝と夜用に必要だもん」

  あ さ と よ る よ う 。

 「仕事行く前に計って送信する義務ができたんだよ。仕事ができないと養育費も送れないぞ?」

「だから、ないって」

「……」

 申し訳ありません。1か月かかる中国製の体温計が来るまでの間、職場にはウソの数字を入力していました。

 

 だったら職場に事情を言って体温計を貸してもらえばよかったじゃないかって?

 実は職場には、まだ離婚をしたことを言ってないんだ。

 もちろん言い訳がある。離婚が成立して、生活が落ち着いたら、きちんと言うべき意思は本来あった。けれども緊急事態宣言に入るや否や、社内会議があった。

 議題は短く言えば「急に決まった緊急事態宣言下において、限られたリモートPC端末を、メンバー内の誰から先に貸与すべきか」という内容だ。まず管理者層から割り当てられ、次に誰を? となった。僕に白羽の矢が立った。外部の人間である僕に。

 僕に?

「外部の人間は普通なら、まず自宅待機してもらうんだが、そうなると契約した分の費用は約束できない可能性がある。けど麺くんのところには、まだ小さなお子さんがいただろう?」

 それで、言えなくなった。

 今も僕は神奈川の片田舎から来ていることになっている。

 心苦しい。

 

※ ちなみに体温のウソ入力について怒る人がいるかもしれないから一応いっておくと、会社の前にも検温センサーが設置されているので、それで熱があったら帰るつもりではいた。とはいえ電車に乗って申し訳ない。

 

 生活面の不備というと、そのあたりになるんだが、あとは精神面だろうか。本来であれば離婚後、昔の友達に連絡して、かつての交友関係PDCAを回して、一人になった寂しさを酒で飛ばすことができただろうが、残念ながらコロナ禍においては難しく、家具が届かず何もない部屋で、ひたすらに自分の時間を過ごすということになった。リモート飲み会は双方向の会話ができないから苦手だ。わりと孤独には耐性があるつもりだったけれども、離婚したては「寂しさ」という病に拍車をかける。なにしろ、うるさくて走り回る存在がいない。ネットの工事はまだまだ先だし、外の店は20時で閉店する。ゆっくり本でも読むかと思いながらも、引っ越し当初は我が子を思い出してしまう。気を紛らわせられない分「ひとり」を直視する夜の時間は長かった。

 

「月に1回」という子どもとの面会制限も、いまだ1回しか会えてない。親権はあっちなので、そのへんは強く言わないようにしている。こういう御時世だから県外からくる人間と会わせない母心は尊重する。その代わり、向こうも気遣って毎週末LINEで、テレビ電話をしてくれるんだが、やっぱり会いたい気持ちに変わりはない。

 現在2歳。テレビ電話の使い方を中途半端に覚えて通話中、赤いボタンを押したがる。

 ボタンを押そうとしながら手を振って「アイチャー!」という。

 押したらバイバイってことは、ちゃんと解ってるんだぜ。

 なぁ。

 おまえ、ひどくないか?

 きっとママ似だな。 

 

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 まぁだいたいこんなところだ。そろそろ最後の話でもするか。

 実は離婚調停の3回目の前夜あたりだったか、彼女からこんなことを言われた。

「ねぇ」寝る前だったから真っ暗だったんだよな。「離婚を切り出したのは私だけど、子どものことを考えるとやっぱりやめたほうがいいかなとも思って……迷ってる」

 

 どうにもならない生活と性格の不一致と。

 一言も会話がない時間があって。

 半年くらいの冷戦状態があって。

 耐えきれなくなった彼女が離婚しようって言いだして。

 そっから僕が反対したのに折れなくて。

 じゃあ調停で終わらせようということになって。

 

「あなたはどうしたい?」

 

 あなたはどうしたい? 

 離婚しないほうがいい、とは僕が言ってきたのに、それを今さらって感じだった。

 止めて欲しいのかな。まぁな。言うべきなんだろう。

 本来ならな。

 でも僕は別のことを考えていた。最初に揉めた時のことだ。結婚するとなって、彼女の実家に近い場所に引っ越した。引っ越したことで東京の職場に片道2時間かけて通うようになったのは仕方のないことだった。彼女が妊娠で身体の不調を訴えて、育児休暇をもらう前(6割の給料付き)に、仕事をやめてしまったのは仕方のないことだった。そうなると、この先のことが心配だったので、僕は土日も仕事をして今後の準備に備えようとしていた。あんなに女の子のことしか考えてなかった自分が、仕事のことしか考えてなかった。ただ、子どもが生まれても、あまり家にいないことが多くなった。そんな折、奥さんから言われた。

「あなたは仕事は頑張ってると思う。でも仕事しかしていない。家に貢献をしていない」

 当時の自分には、むちゃくちゃショックだった。今となっては育児をひとりでやることがストレスだったんだろうな、と想像できる余裕はある。けれども、僕は僕なりに育児ができる環境を整えようとしていたつもりだったし、そういう結果をとり続けていた。「仕事しかしてない」は、それらすべてを無視された言葉のように思えた。彼女の性格上、そう言うタイプなのだ。まず自分の不満をストレートに言う。別に悪いわけじゃない。結婚する前からそうだったじゃないか。わかってたろ?

 だけど「忙しいのはわかるけど、もうすこし育児に協力してほしい」という相手を思いやろうとする言葉から選べなかったのかな、と思う。僕が、なぜ仕事しかしてないのか一瞬も想像してくれなかったのか。それを選んでくれたら、もっと違ったかもしれないのに。でも、きっと最初の言葉でも耐えられる夫はたくさんいることだろう。 

 何度も言うが、これが決定打というわけではなくて。 

 詰将棋のような死に方だったんだ。

 

 いま自分ができることは小さいやつが健全に生きられる環境の手助けをするということしかない。

 あとはわかってるのは人生が若干自由になったことと、かつてこのブログに書いていたような女語りをする立場ではなくなったってことだ。

 なにしろ立派な恋愛敗残兵になったもので。もう、その資格がない。

 

 自分の充実感を、次にどこに持っていくか。 

 この記事、公開した後にでも考えるか。 

 時間はまだ潤沢にある。