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好きだから ″重い女″ が ″軽く″ なることなんてあるんだろうか?

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 ■ 好きだから"重い女"になってしまう女性たち|AM「アム」 はてなブックマーク - 好きだから

 

 ネットにおいて2週間前なんて、昔のことになってしまうのだろうけど、この記事を、もう何度も読み返している。感想を書きたい願望を秘めつつも、考えをまとめることが今までできなかった。

 

 恋愛コンテンツを多く取り扱う、ファーレンハイトさんのレトリックについては「結局は一般論に落ち着く」という内容を以前、自身もTweetしていたけれど*1、普段のコミュニケーションでも重要なことを、何故か恋愛が関わると、好きになりすぎたり、恋人との距離が近すぎたりといった理由等で、相手が見えなくなってしまう人(事)への急所に、一般論で突く巧さがある。ロジカルな道筋をたどりながら、結論が一般論である構造は「腑に落ちやすさ」というか「納得感」というかたちで、広範囲の読者に着地させることができる。

 僕は、つい言葉を借りて「一般論」と書いてしまったけど、正確には、彼がAMという女性向け恋愛Web媒体のなかで書くのは、いかにも女子ウケしそうな「モテテク」なんて本当は必要なくて、一般的な「相手を思いやる」類のコミュニケーションで大抵の恋愛関係のなかでは代用可能である、といった主旨が多いような気がしている。

 

 ただ、その「一般論」の正しさを認めつつも、うまくいかないのが人間なんだよなということを記事を読みながら、僕は懐古していた。上の記事では、付き合っている男性に ″愛の見返り″ を要求する女性の描写がある。

 

  • 連絡がマメじゃないと「私のこと好きじゃないの?」
  • マジで忙しくて会えないときに「私よりも仕事が大事?」
  • 他の女の子と会わないで。連絡先を消して。必要ないでしょ?
  • なんなら私と会わないのに、男友達と遊びに行くの?
  • 何かとすぐ泣く とにかく泣く
  • 自分に極度に自信がなくて、あなたがいないとムリ感を出す

 

 これに加えて、″重い女″ の例を追加させてもらおう。僕の話だ。

 

 かつて僕が大学3年生だった頃、付き合っていた彼女は社会人1年生だった。 

 交際当初から社会人だったわけではなかった。バイト先の卒業間際の女子大生と付き合っていたら、社会人になっちゃったってパターンだ。

 全国にある大企業だったから、彼女はいきなり埼玉の片田舎に飛ばされた。根性を出せば、都内に行ける距離だが、僕の地元から2時間はかかる遠方だった。会社には寮が用意されていたが、それが2畳もなかった。若い女の子が、田舎に2畳の部屋で暮らすなんてキツイと思う。おまけに社会人1年目で、体育会系の企業だったから、ストレスもあったようだ。

 

 女の子は寂しがり屋が多いけど、その子も多分にもれず、ほぼ3日置きに電話がきた。最初のころは、1時間だったが、そのうち2時間になり。ひどいときは4時間近くも電話した。今となっては、なにを話してたんだろうって思うけど、その子は話好きだったし、もう遥か昔だけど、意外と話は弾んだ記憶はある。仕事のグチは、さほどなかった。

 

 今では定額通話もできる時代だけど、そんなの当時はないし、恋人割みたいなのを使っても、電話代はバカみたいにかさんだ。ひどい月だと、最新のプレイステーションが2台買えるぐらいの金が、バイト代から消えていった。「そんなに金がかかるなら会えよ」って話だけど、ゆるい大学とはいえ、バイトもしなきゃ友達とメシにいけないし、そのあと往復4時間かけて会いにいくのはしんどかった。月末になると(彼女の家までの)往復の電車賃1500円ですら痛かった。

 そのうち、彼女の存在は僕にとって「重荷」になってきた。バイト代が入っても、その半分近くが、電話代とデートに消える。おまけに電話する時間も長く取られる。欲しいものが買えない。好きなことができない。僕は内心、イライラしはじめていた。

 

 その鬱屈は、きっと顔に出ていたのだろう、辛くなった頃に、別れを切り出され「もう、あなたは私のことを好きじゃなさそうだもん」と言われた時に「そりゃそうだろ!」という怒りと「ここまでやったのに、まだ僕に愛を求めるのか…」という呆れと「やっと解放される…」という安堵が複雑に入り混じったのは、よく覚えている。

 

「遠恋だったからダメになりましたって話だろ?」と言われてしまえば頷くしかない。

「女が男に依存していた話だろ?」と言われてしまえば、これも頷くしかない。

 これが「お互いのキャパシティ」を超えた状態の話なのだろう。

 

 わざわざ、こんな例を紹介したのは、愛情表現として「私以外の他の女と連絡するな」という、わかりやすい見返りを求めるような類だけじゃなく、いろいろな種類の ″重さ″ があるよな、とわかって欲しくて書いた。だから本当は、その種類の数だけ ″重い女″ がいるのだと思う。

 

 ファーレンハイトさんの結論は「彼に依存しすぎているのが ″重さ″ の原因で、自立した女を目指そう」というものだ。ただ、これに対して、僕がどうしても不安が残ってしまうのは、この主張を「好きだから ″重い女″ 」たちが読んで理解したところで「よし、私は自立した女になろう ⇒ なるというのは全員には難しい話なんじゃないかと思う。なぜなら、これは ″モテテク″ とは違って「生き方」とか「女性の感情そのもの」の変化が必要だからだ。

 

 繰り返すが、結論に異は全くない。だけど同時に、納得しているのが実際「自立した女」と「男性」みたいな当事者以外の内輪だけであってはいけない、とも強く思う。「わかっちゃいるけど、やめられない」どうしても彼氏に依存してしまう女性に「依存しない交際」を説くのは簡単なことじゃない。それは依存された僕がよく知ってる。

 

 それから、女遊びをやるようになって実感としてあるんだけど、生活基準がしっかりしてる人でも男に依存する女性というのはいる。むしろ個人的経験でしかないけど、アラサーの場合、年収や社会的ステータスが高い独身女性ほど、依存する傾向が強いような気がする。彼女たちに共通するのは「恋愛経験が少なく、熱くなりやすい」ということだ。仕事に「熱くなりやすい」から、そこそこ成功していて、男に「熱くなりやすい」から、とことん惚れるみたいな。ある意味では、とても純粋なのだろう。

 

 それにしても、あの頃、何故「彼女からの "重さ" に耐えていたのか?」といえば、男女交際に不慣れだったってのもあるし、辛い境遇の彼女への同情もあったし、正直「好きだから頼っちゃう」という彼女の気持ちに応えてあげたかったんだろうな、と思う。僕は依存されることで喜びを得るようなタイプではないし、むしろ依存しないタイプなので、こういう女の子の気持ちは、今も正直さっぱりわからない。でも、まあこんなことで喜ぶなら、とズルズルやっていた。

 

 ただ、あれから10年ぐらい経って、いろいろな女の子とデートしたり。付き合ったりしてきたけど、僕なりの結論として、ひとつ言えるのは「女の子は、なんだかんだで、″どこかワガママなところ″ を持っている生き物なんだ」ということ。しかし、それも女の子の魅力のひとつなのかなあ、とも思う。

 

 現に、例の子と別れた後、恋愛に疲れた僕が、次に付き合った子は、かなり大人しい子だった。というより、大人し過ぎた。デートや旅行といった企画を提案するのは、いつも僕で「自分の意見」というのが、まるで無い子だった。「私は、あなたが行きたいところなら、どこでもいいよ」「あなたがしたいことならしてあげる」と言うのは一見、耳触りはいいけれど、10回デートをして、10回とも僕が内容を考えるのは、やっぱりおかしいし、終わった後も「今度はどこに連れてってくれるの?」と毎度、訊いてくるのは後半、苦痛だった。

 それは従順というより「自分の無さ」ではないか。無論ケンカも殆どしなかった。だから別れた、と言っていい。

 

 これは、あくまで「僕の例」でしかないのかもしれないけど、ふたりのマンネリな関係に変拍子を与えてくれるのは、時に女の子のワガママであったことを、男は、もう少し認めてもいいんじゃないだろうか。もちろん、ワガママの大小や程度の問題はあるけど。

 

 そういう意味でいうなら、″重い女″ という問題の前に「その女のワガママの種類」を受け入れられない彼氏がいる可能性もあるんじゃないのか、というのが最近の僕の暫定的な結論になってきてる。

 

お互いがお互いの大事にしたいことを尊重しながら、お互いに会いたいと自然に思うときに会えるような。

 

 理想は、本当にそうだと思う。でも不器用に生きることしかできない女性は、無理に、この理想を目指さなくてもよくて、自分なりの依存の種類を受け入れてくれる男性を探す努力をしたほうが、よっぽど「私らしく」生きられるんじゃなかろうか。もちろん「自分が変わるか」「自分を受け入れてくれる男性を探し続けるか」といった二者択一は、どっちも大変だ。しかも、現在の彼氏との交際の継続を望むなら、理想を目指すしかないわけだけど。

 念の為に書いておくが、この「私らしく」というのは自信がないとできないことだし、それで嫁に行き遅れるリスクとかまで、僕は知らない。ただ恋人に合わせる生き方だけじゃない、ひとつの選択肢として挙げた。

 

 そして男性にも同じことが言える。「彼女が重い」などと言っても、好きなら、その重さに耐えられるよう自分が変わるか「この ″重さ″ の種類なら受け入れられる」という人を探すしかないんじゃないか、ということ。

 

 そういう考えに至った、きっかけでもあるのだけれど、上の例の子、つまり僕の元彼女だけど、何年か前に結婚したことを人伝いに聞いた。

 それは僕には無理だった、寂しがり屋の彼女の "重さ" を支えてくれる人を見つけたのかもしれない。

 

 だから、僕は "重さ" 自体は、そんなに悪いものじゃないと思ってる。だって「彼氏のことが好き」って気持ちで振り回したくなっちゃうのは女の子の性だよ。それを受け止められるよう変わってくれる男の子もいると思うんだ。

 彼女のように。

 

 お互いがプラスになれる関係っていうのは「総合的にプラスになればいい」のであって、問題のないカップルなんて、この世に存在しない。"重さ" も、その問題のひとつに過ぎない。

 

 自分の言うとおりになる女の子なんて、つまんないよ。

 

 だけど「この女の為なら、自分も変わりたい」って思わせてくれるぐらいの女の子。

 

 もっとも、これもまた、僕の理想でしかないのかもしれないね。