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タイガーナンパーカット

ナンパ、出会い、恋愛、性的嗜好。menonsoup@gmail.com

「まずセックスする」という選択肢について:今年の総括

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  旅先の温泉宿にいる。ついさっきまで海から流れる、ゆったりとしたさざ波の音を聴きながら、窓の外を見ていた。冬の青く澄んだ空の景色を見ながら、今年末は静かに過ごそうと決めていた。

 

 こうしていると自分が数日前までクラブにいたことなんて嘘みたいだと思う。六本木。激しい光彩の下で踊る女の子の集団のなかに突っ込んでは、そのひとりに触れ、騒音のなかで耳打ちして、時に手を引っ張って連れ出し、フロアの隅っこで、やや強引なディーブキスをしていた僕は、本当に「僕」だったのだろうか。

 

 以前から遊び人ではあったが、春からナンパを始めた。

 経緯については、このブログに書いてきた通りだ。今年の前半はストリートで。秋頃からはクラブで。「結果」から挙げると例年よりも数人、増えていた。遊び方を大幅に変えたので、減ると予想していたが意外だった。相手の内訳も少し変わった。以前はアラサー層の社会人ばかりだったが、今年は25歳の第2新卒、また、それよりも前の若い子が混じり始めた。僕は、むしろ数よりも、この内訳の変化を面白いと感じていて、何故このような結果になったのだろうと行きの電車のなかでは、そのことばかり考えていた。

 とはいえ、多くのナンパ師が自身のブログで語ってきたことを、僕もまた繰り返すけれど、ナンパをしたところで自分の何かが変わるわけではなかった。僕は、いつもの僕だった。ただひとつ今年、変わったものがあるとすれば、女性と接するとき「まずセックスする」という選択肢のスイッチを持ったことだけだ。

 

 今日書こうと考えているのは、その選択肢についてだ。  

 女性に遊びなれた人間は簡単に言うと「この女性はセックスできそうか、そうではないか」というアンテナを皆持っている。「即系」という分類を用いるナンパ師とは、つまりそのアンテナの感度を高めようと日々、女性と接しながら自己研鑚している人種と言っていいような気がする。もっとも、それは全ての女性に対してではない。自分が好みの女性を見た時、あるいは狩場についた時、そのスイッチは押されるものだ。

 僕がやろうとしたのは、そのアンテナの感度を高めようとする行為だった気がする。

 

 もちろん、結局これが最終的に「ヤリ目」のための研鑚である面については、ツッコまれる前に「そうだよ」と開き直っておく。前から書いてるけど、ここは結局、下品なブログだから、そういうことしか書いてない。ただ、これも以前のエントリーにも書いたんだけど、そういう視点を得たいというすべての人間が、女性の身体 だけ を目的として動いているわけではないことも再度、書いておく。

 

 そのうえで「じゃあ、そのスイッチを持つことに意味があるのか」と言う人の存在を僕は予想しているんだけど、各々それは必要だと思ってるから、やっているだけ、としか答えようがない。たとえば、プロになるつもりもないのにボクシングを習う人に「日常で人を殴ったりしないのに何故やるんですか?」と質問する人はいない。彼らは自己防衛する程度の強さがあればいい、とか、幼い頃、いじめられたトラウマの反動といった理由を挙げたりしながらも、結局は好きだから、で終わる話とはいえ、減量やトレーニングといった傍目から理解されない苦痛も含めて、過程として楽しむ。それは人を殴る技術を磨くためだ。

 社会的行為として、ナンパは決して認知されていないが、それに近いなと思う。

 

 そのために、どうしても異性としての女の子は必要だし、必ずしも楽しい結果とさせてあげられないことは知ってる。特にナンパを始める前も含めて、今まで僕はブログで、あたかも女の子の気持ちを理解したようなことを偉そうに書いてきたけど、時に女の子を不快にさせてしまうような行動を、何度かしてしまったことは正直に告白しないといけない。特に、ギラや、セックス打診は、ある種、相手の心への「踏み込み」みたいなところがあるから、タイミングを誤ると、たとえ相手をちゃんと見ようと心がけていても、失敗はあった。

 誰かを傷つけてないと、誰にも優しくできない。

 

 それゆえ相手への拒絶を受けるたび「僕は何故こんなことをやっているのだろう」と落ち込むことがある。帰って「そんな人だとは思わなかった」という言葉を思い出し、ベッドに倒れて、枕にパンチする夜もあった。しかし悩んでも仕方がない。僕は、彼女にとって単なる「いい人」で終わりたくなかったのだ。「いい人」なんて「誰でもない」って言われてるのと同じだ。特別であろうとするには、どこかで、その子の周囲の人間と違う行為をしなきゃいけない。

 

 今年は「即」を経験して以降、そのアンテナが少し狂ってしまい、以前なら慎重に進めていたような、まだIOIを得られない相手にも無理な打診をしてしまったことが何度かあった。勢いに駆られ、相手を見れていなかった。それは僕の反省としてある。今一度、冷静にならないといけない。

 

 ただ、こんな悔みを繰り返したからといって、過去の「遊ばなかった頃の自分」に戻りたいか、と自問するが、今もなお、そんなことはないと、はっきり言える。

 

 合コンで出会った3~4人のなかから「とりあえず良かった」って子とメールを繰り返し、会ってみたけど(好みかな? そうじゃないかな?)と優柔不断に悩み、手も繋がないデートと、酒の席に、男だからと意味もなく全部おごって「じゃあねバイバイ」で別れて、そんな紳士ぶった自分に疲れて、ため息とともに家に帰って、寝る前に、吉沢明歩のAVでも観て、マスをかくような、しょーもない一日を送るのであれば「まずはセックスする」という観点を持って過ごすほうが、よっぽど有意義じゃないかと僕は思う。

 さっきの「そのスイッチを持つことに意味があるのか?」という質問に対する答えがあるとすれば、今の僕に出せる暫定的な答えはそれだ。

 

 もちろん、こういう目的は、もし女性が読めば怪訝な目をされることはわかってる。でも、恋愛って互いの心を寄せ合う行為だから、大人になればなるほど、セックスよりも普通に「付き合う」ほうが、ずっと難しくなっていくような気がする。

 

 若いころのほうが相手に飛び込めたのに、大人になるにつれ臆病になるから、付き合う相手を時間をかけて見極めたくなるけど、しかし酒の勢いでワンナイトラブはできちゃう(または経験した)みたいな女性は、僕の周囲には沢山いたし、それは多分、普通なんだと思う。

 

 しかし「普通」というのと、それが「正しい」というのは、また別の話だ。僕の言った「スイッチ」も、それと同じものとして存在している。だから持つべきだ、とは今後も言えない。けれども、下心を隠して、なにもできなかった昔より、いかに下心を丁寧に通すか、というほうが、僕には心地のいい生き方だなと思っただけなんだ。そんな気持ちで僕はブログも女遊びもやってる。

 

 おそらく僕は来年も、このスイッチを押したまま遊ぶと思う。さいわい仲良くしてくれる人もできたし。それでも、傍目には、きっと僕が下手なダンスを踊ってるようにしか見えないんだろうな。そう見えた人には恥ずかしいから来年は、このブログを読まないでほしいよ。