淋しい処女放流
「いつも彼氏とデートしてるとき、彼氏の右と左、君は、どっち側を歩いてたの?」
ギラつく時、僕はよくこの質問から始める。恋愛トークから移行させるから、突然ではあるが、違和感はない。
たいていの女の子は、普段そんなこと意識したことがないから、混乱する。(えっと、右だっけ? 左だったっけ?)とあわてる向かい側では、優男がニコニコしている。僕にとっては、その混乱こそ、ギラの布石のひとつだから、実は答えなんてどうでもいいんだ。それでも女の子は、右か、左か、どちらかの答えを言う。語尾に「……だったと思う」をつけながら。テンプレートの会話/想定通りの反応/今回も繰り返すはずだった。
だけど、その日あった子は、いつもとは別の答えを言った。
「わからない。元彼とは結局、デートした事なかったから」
21歳。SE。茶髪ショートカット。細身のボーイッシュ。笑うと目が線になる「キツネ顔」。個人的には決して好みのタイプじゃないけど、昔から、この手の笑顔って、どうにも嫌いになれない。それが逆アポを受けた理由のひとつ。
僕のような、ささやかな遊び人も、たまに話をしているだけで「あ、この子とはできるな」って思える瞬間がある。できるっていうのは、もちろんセックス。下品な話だけど、ここは下品なブログだから、どうしようもない。この子の場合は、前回、はじめて会ったとき、喫茶店で過去の男の話で「寂しいの…」と呟いた瞬間、直感した。
同い年の元彼。交際期間1年弱。「俺はビッグになる」系の、若いゆえの痛い発言と、彼女を雑に扱うような挿話。彼女に言わせれば「そんな彼の背伸びも可愛かった」らしいけど、あまり会ってくれなかったので、やっぱり別れてしまった、という内容。そこで「私は、彼にちゃんと愛されなかったみたい」という流れからの「寂しい」。言葉自体に性的な気配はなかったが、過去の少ない経験上、こういう自発的に「寂しい」と発言する子は確実に落とせた。
理由の、もうひとつ。
覚えてない、なら解る。だけど「わからない」という回答は初めてだった。意表を突かれた。
「付き合ってたんじゃないの? なんでデートできなかったの?」
「いつも学校帰りだったから、わざわざデートって待ち合わせとかしたことないし、歩くときは、いつも彼が前だったから」
寂しい回答だった。そんなの付き合ったって言えるの? きっと20代後半の頃なら、相手を見ずに、上から言っていたはずだ。発言を控えたのは、多少、大人になれたからだ。
その代わり、なにを言うか迷った。ただ、少なくとも、この話を深く掘り下げたら、セックスに誘導できなくなってしまうことは解った。彼女の「寂しさ」に感応なんかしない。自分のペースで塗り潰す。だから、その学校というのが、果たして高校か、専門学校かということが気になったが、訊かなかった。前に進むことだけを考えた。
「そっか。じゃあ『理想の彼氏ができたら』どっちを歩きたい?」
仕切り直し。明るい声。
「わからないよ。そんなの」
「じゃあ試してみようか」
立ち上がった。ちゃんと和んでいるので、ここで抵抗されたことは一度もない。彼女の左に座った。次に右。
「どっちに僕がいるほうが落ち着いた?」
「右…かな?」自分に確かめるように。「うん。右」
「そうだと思ったよ」
「どうして?」
「『男性に右にいてほしい』って考えるのは、男性に頼りたい女性なんだよ。逆の場合は、男性を引っ張りたい女性。ね? 当たってるでしょ?」
「そうだね」
しばらく、その場にいた。離れて、とは言われなかった。頭をなでた。確認せずに、手を繋いだ。こうするとデートっぽいでしょ? と言ってみた。うつむく彼女に余裕がないのは明らかだった。
「彼氏と手を繋いだことは?」
「…ない」
また、寂しいことを言う。また僕は一瞬、同情しかけた。
消した。前を見ろ。
「どうして…?」と彼女。「どうして、こんなことす」言い切る前に、キスした。
お互い、シャワーを浴びて、何度かキスをしてから、ベッドに押し倒す段になって、彼女が言った。
「あの、お願いがあるんだけど」
「なに?」
ここで仕掛けるのは、卑怯としか言いようがない、と今でも僕は思う。
「優しくしてくれない? 私、はじめてだから」
「え…なんで? 彼氏いたじゃないか。そいつとは…?」
「結局、しなかった。できなかった。私、愛されてなかったから」
ここで、僕は初めて彼女に完全に同情した。てっきり僕は、前の彼氏と経験があると思っていた。いや、むしろ前の彼氏モドキは、彼女のことを若い性のはけ口というか、その程度にしか見ていないから、彼女のことを軽く扱っていたんだろう、と思い込んでいた。そうではなかった。そいつは、彼女に手をつけてもいなかった。痛い発言をするだけの、とんだ馬鹿野郎だった。僕は真剣にムカついた。そして彼女は、馬鹿野郎も弄ばれなかった挙句、今度は、こうしてセックス目当ての男に抱かれようとしている。
処女を抱くのは、5度目だった。大分うまく抱けたと思う。言っておくが、僕は「処女を面倒臭い」と思ったことは、ただの一度もない。いつもより時間をかけて、丁寧に愛撫をする。痛さに苦しむ女の子を、なだめながら、優しく、しかし痛くならないように、時に、強引に、挿入する。
そう。今さら告白するまでもなく、僕は彼女から逆アポをされた時、(あ、この子セックスできるな)と考えていたゲス男だ。だけど「僕なんかに抱かれないほうがいいよ。優しい彼氏が出来たときにね」なんて、あのタイミングで、どうして言えただろう? もし、あのタイミングで言うのは、彼女は今度「遊ばれもしなかった」と思うと思った。だから抱いた。その代わり、死ぬほど優しく抱いた。ひどい思い出にならないように。それがゲス男なりの倫理だ。
朝方、ベルトの金属バックルが擦れる音がして、数分だけ起こされた。彼女が脱いだ服を整理しているのだ、と思って、また、すぐに寝た。起きたら彼女がいなくて「気持よく寝ていたので先に帰ります」というメッセージが残されていた。起きた彼女が、僕を見て、どう反応するか知りたかった。別の言い方をすると、彼女は初体験した朝、相手の顔を見ずに帰った。だから彼女が初体験に、どんな感想を抱いたか、僕は知らない。ただ、僕には彼女に同情する権利は最早ないと思った。セックス目的で会い、セックスしたゲス男だから。同情の代わりに「1ゲット」とか「準即」って記号を使う。
彼女のことを、そうして記号にする。
まぁこの話の落ちは、僕が処女を放流したんじゃなくて、処女に放流されたってところなんだけどね。