マイ・チャイニーズ・スペグダ
あれは、どこの出来事だったっけな?
たしか新橋だったと思うけれど、自信がない。タクシーで移動したのと、きっと前の店で紹興酒を飲み過ぎたせいだ。弱いくせに、また酔っぱらった。暗い店内でも視点が定まっていないことが理解できる。頭だけは少し冷静なのが幸いで、僕の右手は、先端が赤くなった割りばしの片方を握っている。
「次はー、イケメンが王様だナー!」
隣にいた女の子がカタコトで叫んだ。
プレイバック。
そうそう。きっかけは、Uさんが「中国人キャバクラが楽しい」って話をしたことから始まったんだっけ。
この夜、僕は仕事仲間とスカッシュをして、その帰りの大井町の料理屋で、食事とお酒を楽しんでいた。仕事仲間といっても40を過ぎたオッサンと、24歳の若い男の子と、25前後の女子2人と、性別と年齢が見事にバラバラで、おまけに僕は、4人の会社の社員ですらなかった。ただ外様ではありながら、付き合いの長い人たちなので、たまにスポーツ交流に呼ばれることがあるという間柄だった。
「どこが楽しいんですか?」
僕は、若い男女のお兄さん役を務めながらも、Uさん(オッサン)のホスト役という位置にいた。
「そうだな。文化の違いっていうのもあるし、とにかくアイツラは下品な会話もできるんだよな。下ネタも全然あり。あのバカバカしいノリに慣れると、日本人のキャバクラなんて、どうにもオシャレで品が良くて、金が高いだけで、つまんなく感じてきちゃうんだよ」
Uさんは笑福亭鶴瓶のような目をしている。笑った時なんて、そっくりだ。
「Uさん、スケベだもん。そういうほうがいいよね」
女子のうちのひとりが言った。Uさんは、いわゆる愛されるスケベ親父だった。
その時は、そういう会話で終わったと思う。22時ぐらいで解散して、女子を駅の改札まで送っていった。とはいっても、女子の相手をして、別れ際に手まで振っていたのは僕だけで、Uさんと若い男の子はふたりで談笑していた。
僕が戻ると、Uさんが誘ってきた。
「今日は、もう一軒行くけど一緒に行く? さっき話した俺の行きつけの中国人のおねーちゃんの店」
ほろ酔い気分の良さで、ふたつ返事だった。
「実は、さっきの店は続きがあるんだ」
店に向かうタクシー内で、Uさんは、鶴瓶スマイルで切り出した。
「店の上にベッドがあって、まぁ本来は酔ったお客さんを休ませるためのベッドってことなんだけどな。たまに、店の女の子も一緒に上がって『できる』んだよ」
「マジすか!?」
若い男の子が興奮する。なにができるかは訊くまでもなかった。
「すごいですね」
正直に告白すると、僕だって少し興奮していた。ただ若い子の勢いに圧倒され、小声になった。こんなブログをやっているくせに、他の男の性欲を露骨にあてられると、どうも引いてしまうところがある。
「それ!有料っすか!?」
「いやいや、自由恋愛だから。それに有料だったら捕まっちゃうって」
「うお~っ!!!」
若い子の興奮は理解できるものの、車内だったから、ちょっとウザかった。
中国人キャバクラは、いかにも中国って感じの装飾がされた間接照明が、店内を暖色というか、さくら色というか、なんとも言えない、あやしい感じに薄暗く染めていた。
大きなソファー席が4つか、5つ設置されていて、そのうちのひとつに我々が座って、もらったお手拭きで手を拭いていると(当然Uさんは顔まで拭いた)、件の中国人のおねーちゃんが3名やってきて、男性陣の合間に座った。
「あらやダー。いい男3人だナー! Uもどうした一急に店きたナー!?」
カタコトで、わざとらしいリアクションを取られるなんて、確かにここでしかありえない。
プレイバック終了。
そこから先の記憶は、どうもあいまいなんだ。紹興酒の後も、立て続けにチャンポンしたお酒を飲んだことがあって、あっという間に悪酔いした。なにかの流れで、王様ゲームになり、僕とUさんがキスすることになった。僕も王様になったときは、女子ふたりにキスの命令をかまして、つまり結構グダグダの流れが発生した。あと、Uさんがホステスに何度かおっぱいタッチをして、怒られていたのは見た。
ベロベロのあまり、もはやホステスと「できる」とか正直、どうでもよくなっていた。そんなファンタジーもあるかもしれないね。もしも僕がグリフィンドールの寮に入れたならさ。
かろうじて覚えているのは、こんな会話。
「サクラちゃん。さっきから誰を見てるか丸わかりだね~」
これを言ったのは、ママだったと思う。なぜなら発音がやけに流暢だったことは記憶していて、ママが一番日本語がうまかったからだ。
「ウン。アイツ、カッコいい」
「お~だからコイツ連れてきたくなかったんだよ」
Uさんが、大げさに僕のほうを見て言わなかったら、僕は自分のことだとわからなかったし、そのUさんの隣にいたホステスのほうを見なかっただろう。少し丸いが、茶色の髪が長くて、戦闘力(注:バスト)が高い子だった。特に戦闘力(注:バスト)を強調しているドレスだった。
「カッコいい!」
そのホステスが、もう一度、今度は強い声で言った。決意表明のような声音だった。
場がワッと盛り上がった。僕は「ありがとう」と照れた。
「んじゃ、この3人の女性のなかで、お兄さんは誰が一番好みなの? なんなら持ち帰ってもいいよ」
ママが冗談っぽく言う。飲み会にありがちなしょーもない流れになった。
ホステス3人。ふたりは冷静に僕を見てる。決意表明をした子が、熱のこもった視線で、僕を見てる。みんな決してブスではなかったけれど正直、誰もタイプではなかった。「本当に選ばないとダメですか。失礼ですよ」と抵抗するが、却下された。かなり迷ったが、僕は戦闘力(注:バスト)の高い方を「じゃあ…」と、おずおずと選んだ。
「アタシだナ!! 本当にアタシでいいンだナ!!」
その子の喜びようったらない。確認に、僕が頷くと、一気に立ちあがって、すごい勢いでUさんの隣の席から、僕の隣に移動してきた。
「良かったナ! フタリ、両想いだソ!」
「(う、うん…)そうだね」
ナンパ癖なのか、こんなときでも食いついている方を選ぶ自分を反省した。あまりに食いつきが良いと逆に引いてしまうってことが僕には往々にしてあるんだけど、みんなにはない? 一回トイレに行ってから戻ると、もうその子と和まなければいけない場の空気に変わっていた。ちょっと空気を合わせるだけのつもりが、これはまずいと思い、5分ほど会話をして、終電が近づいていることを理由に、店を立ち去ろうとした。
すると、その子が僕の腕を強くつかんだ。
「なんダ。まだ次に会う約束をしてないゾ」
「明日ね。明日デートしよう」
「本当力? 本当に明日、ワタシたち会うの力?」
「うん」
手を離してくれた。そこから先は、店を出て、駅までダッシュした。出まかせだった終電は、本当に間際だった。いまだにすごいと思うのは、おそろしく酔っていたにも関わらず、ちゃんと家に着けたことだ。
朝、携帯が鳴って起こされた。液晶に表示されていたのは未登録の番号だった。眠気のあまり無視しようと思ったが、しつこくて取らざるを得なかった。
「○○力?」
昨夜の戦闘力(注:バスト)の高い子だった。気づいた瞬間、一気に現実に引き戻された。
「今日、ワタシとデートするゾ」
「え……どうして、電話番号……?」
僕は錯乱した。その子のカタコトの説明を要約すると、僕がトイレに行っている隙に置いていった僕の携帯を手に取り、自分の番号を打ち込んで電話をかけて、番号をゲットしたということだった。
「今日、ワタシとデートするゾ」
断定だった。
「約束、オマエ、守る力?」
睡眠不足と寝ぼけた頭で、言い訳を考えつくほど、僕は機転がきくほうじゃなかった。
上野に来たのは久しぶりだった。女の子とデートなのに、こんなに気分がノラないのは初めてだった。
「来たナ。ワタシたちの初めてのデートだゾ」
ついでに「こんにちは」から始まらない挨拶も初めてだった。
もちろんドレスではなく、ふつうのワンピースを着ていたが、胸元が見えるデザインで、やはり戦闘力(注:バスト)の高さをあらわにしていた。11月なのに。おそらく余程、自信があるのだろう。
「そうだね」
「オマエ、嬉しい力?」
「そうだね」
僕は『いいとも』の客のようなリアクションしかしていなかった。
なぜ上野かというと彼女が決めたからだ。僕は、彼女の案内で、上野駅と御徒町の間にある、中華街のような場所に連れてこられた。規模は小さいが、本格度の差でいえば良い勝負だろう。
そのうちのひとつの料理屋に入り、僕は(彼女が言う本場の)料理を味わった。「おいしいよ」と僕が言うと「ワタシもそう思う」と返ってきた。ただ昨夜、飲みすぎていたせいで、中華料理は胃に重かった。
お会計の段になると彼女は言った。
「中国では、男性が女性に奢るのは当たりマエ。でも、まだワタシタチは付き合ってないし、初めてのデートだから、今回はワリカンにしてあげル」
上から目線だった。
「あ…うん。わかった」
「イイ? 今回だけだヨ。今回は特別だからネ」
指を立てて強調された。調子に乗らないで、という意味らしい。
その後、僕たちは上野公園を散歩した。その間、彼女から質問責めにあった。やれ兄弟は何人いるだとか、なぜ私をあの時えらんだのかとか、どういう女性が好みかという問いに対し、僕はひとつひとつ答えた。質問タイムが終わると、次に、彼女は自己PRをはじめた。主に「自分という女性が、僕にとって、いかにふさわしい存在なのか」といった内容だった。念の為に書いておくけど、僕は彼女の手すら握ったことがない。
最後に「わかった力?」と訊かれたので「君の彼氏になったら、君に愛されるってことがわかったよ」と答えると「そりゃもうムチャクチャだゾ!」と言われた。
そのあと共通の話題として、Uさんのことを訊いた。基本的に彼はスケベだということで落ち着いた。
「でも僕も結構スケベだよ」
「スケベなの力? オマエ、ワタシにスケベしたい、思う力?」
「昨夜、見たときから思っていたよ」
とりあえずギラできる余地を残そうとするのは、すでに我ながら病気だった。
「ほんとカ~?」
いぶかしがるようで、照れもあるような、悪い反応ではなかったので、腰に手を回して、こっちに引き寄せた。
昼時の上野公園である。
「したいよ」
顔を近づけて、頭をなでた。
「昨日と違うナ。オマエ、本気で、ワタシとエッチしたいの力」
「うん。もちろん。しようよ」
繰り返すが、昼時の上野公園である。
「そう力。困っ夕。まだ会ったばかりでワタシ、オマエの見た目、ちゃんと受け入れてナイ」
「なんで?カッコいいって言ってくれたじゃん」
「店は暗かっ夕。いま、ちゃんと見てル」
「じゃあ、やっぱり違った?」
「ウウン。やっぱりカッコいい、卜、思う。でも顔の右側が好きじゃナイ」
はい? 右側?
「ウン。昨日、ワタシ、アナタの左側ばかり見て夕。店の位置もそうダッタ。今日、右側みてたけど、チョト違うナ、思っ夕」
「そんなに違うかな?」
少なくとも僕は、左右対象だと思って生きてきた。
「ちょっと違和感がアル。だけど、それはワタシのせい。きっと慣れル」
「すぐ慣れるよ」
「そう思う。でも慣れないと、エッチできナイ」
こんなグダ、はじめて受けた。崩し方がわからなかった。確かに彼女は、僕の左側ばかりにいた。その後、歩きながら、たまたま右側になろうとするたび、左に移動して「こっちのほうが落ち着く」ということを言った。しばらくして、彼女の携帯が鳴り、液晶が見えたが、男の名前(日本人)だった。彼女は電源を切って、ため息をついた。
「友達? お客さん?」
「ウウン。友達だったけど、もう別れタイ。コイツ、しつこいカラ」
なんとなく、その口ぶりから『縁を切りたい恋人』って感じを想像した。
「会いタイって、うるサイ」
「会ってあげたら?」
攻め手がわからない以上、僕も退散したくて、顔も知らぬ彼をダシにしてしまう。
「でも今、オマエ会ってル」
「まぁ、またデートできるよ」と僕が言うと、彼女は悩んだ挙句「じゃあ会う亅と改めて電源をいれて、件の男と電話をして、1時間後に彼女の地元で会うことを決めたようだった。僕は「自分の気持ちを正直に伝えな」と言って、自分では爽やかだと思う去り方をした。
さて、これが1週間ほど前のことで、あれから毎日、彼女から電話が最低10回は来るんだけど、どうしたらいいのかな? 取ってない僕も問題だと自覚してるんだけど。